ちょっと脱線ですが、楽器や音響機器もかなり影響があるので...。
ここ1週間くらい、だいぶニュースなどにも取り上げられるようになって、一般的にも知られるようになってきた、通称「PSE法」です。中古販売市場が混乱することはちょっと考えればわかったはずなのに、興味がなかったらしく、対策がほとんど講じられてこなかったのはやはり問題でしょう。 ボクは日本シンセサイザープログラマー協会の署名に参加しましたが、ここで案内しようと思っていたら3/6で〆切になっちゃいました。...残念...。 *簡単な説明*(わりと一般的な反応) 「名機」が販売禁止に 4月に迫る「電気用品安全法」(IT media News) *詳しい説明*(かなり批判的) 電気用品安全法(PSE法)の問題について *原則を理解し現実的な対応を* (悪くいえば、筆者もあんまり自分に影響ないと思ってる感じ) +D Life Style 電気用品安全法は「新たなる敵」か #
by copain-eiji
| 2006-03-09 23:34
| ■他
すでにCDで紹介した「スマイル」ですが、その後2枚組のDVDが発売されました。Disc1はドキュメンタリーで、おもに1967年の「スマイル」製作断念に至る内幕から、2004年の「スマイル・コンサート」のための作業をする姿、そして感動のロンドン初演を終えるまでが収められています。Disc2ではその「スマイル・コンサート」の模様を見ることができます。なんといっても貴重なのはDisc1のドキュメンタリーです。
ここでは「スマイル」の製作断念の理由を、ブライアンがハッキリと語っています。本人の口からそれを聞くことができて、初めてスッキリしたというファンは多かったはずです。周囲の理解や協力を得られないばかりか、あらぬ疑いをかけられたり噂を流されたり、そして最高傑作となるはずだった作品を完成させられなかったということに打ちのめされてしまったブライアン。完成を急かされるプレッシャーに加え、人のことを悪く思ったり言ったりすることが嫌いな彼は、そのすべてを自分の中に押し込め、結局は彼自身が崩壊してしまったのです。 忌まわしい記憶を恐れて「スマイル」から遠ざかっていたブライアンですが、新しい仲間たちとの作業の自然な流れの中で、再び製作に着手することになります。しかしロンドンでの初演を終えるまでの日々は、過去の記憶との壮絶な戦いを経なければならず、見ているこちらが辛くなります。コンサートを終えたブライアンは「やっと悪魔から解き放たれた」と語ります。「スマイル」製作前のたった一度のLSD服用時から、幻聴に悩まされていたのだと、ドラッグの恐ろしさもキチンと証言しています。 近年のビーチボーイズのドキュメンタリーで、マイク・ラブが「スマイルはドラッグから生まれたもので、美しいものでもなんでもない。」と言っていたのを、きっとブライアンも聞いたのでしょう。「スマイル」復活には、その発言が真実でないことを証明したかったという気持ちもおそらくあったのだと思います。時間をかけて産み出し練り上げた作品を、「ドラッグの産物でしかない」などと言われたら、そんな悲しいことはありません。過去のしがらみを吹き飛ばして歌いきり、作詞のヴァン・ダイク・パークスと抱き合う姿は、涙なしでは見れません。 めでたしめでたし...。 #
by copain-eiji
| 2006-03-02 13:53
| ■映画+TV
5/24(火)、ボクたちの数年来の夢が現実になった。
目の前で(と言うにはかなり遠かったけど)歌うカエターノと時間を共にしたのだ。 バンドを従えてステージに登場したカエターノが歌いだしたのは 「ミーニャ・ヴォス、ミーニャ・ヴィーダ(わが歌、わが人生)」。 ...幸せだから、 苦しみの中にあるから、 待っているからボクは歌う。 幸せになるため、 苦しみとともにあるため、 待つためにボクは歌う... 「歌は心に届く」ということを、本当に久しぶりに身体の芯から体験した。ブラジル・バイーア州出身の62歳のシンガーの、ホールいっぱいに響くツヤとハリのある歌声に、完全に参ってしまった。カエターノのステージはシンプルで、最低限必要なものしかそこにはない。巨大な装置も派手な演出もなく、マルチビジョンもない。だから2階席から見たボクたちにはカエターノの細かな表情は見えない。でもそれがかえって音楽に集中できて良かったかもしれないとさえ思う。バンマスでチェロ奏者のジャキス・モレレンバウンを筆頭に、ギター2本、ベース・ギター、ドラムス、パーカッションの名手たち6人が繰り出すさまざまな表情の音が唯一、そして最高の演出だった。 カエターノがすばらしいミュージシャンで、そのコンサートでの演奏が文句なく感動的であったことは間違いないが、これについてはそれ以上に何も書きようがない。どんなに言葉を使っても、音楽の「感動」そのものを伝えることは不可能だからだ。少なくともボクにはムリだ。なので、ちょっと視点を変えた話題をひとつ。 来日前にカエターノに電話インタビューしたという中原仁さん(ブラジル音楽の評論家として第一人者)のサイトに、その時のコメントが載っていたので転載させてもらう。 カエターノ:『 これまで日本で行なったすべてのコンサートで、私が感動したことがある。曲が始まって、それに聴き入る日本のオーディエンスの<静けさ>。これは、他の誰にも真似できない。まるで、そこに人がいないと思うほどの、ピュアな静けさだ。禅の静寂とも言える。そこには何もない,白紙だ。無人の前で歌っているようにすら感じる。そして、曲が終わって拍手が起き、とても自然に場内が活気づき、熱狂する。この自然な姿勢が、とても素晴らしいと思うし、こういうオーディエンスには、今日の今日まで、日本でしか出会ったことがない。』 予定調和の、決まりきった作法としてのライブの盛り上がりというのがボクは大嫌いなのだけれど、この言葉を聞いて、ボクがカエターノを好きになったのは当然のことだったと理解できた。よく日本の客は静かすぎるとか、関東の客はノリが悪いとかというミュージシャンの声を聞くのだけれど、それって音楽に何も関係ないことだと不快に思っていた。実は今回のコンサートも、正直に言うと他のお客さんの反応が心配だった。しかしコンサート最後に、それが余計な心配だったことがわかった。カエターノの音楽を聴きに来たお客さんたちの姿に、ボクも感動してしまったのだ。それはコンサート本編が終わった後、当然のようにアンコールがある。そしてアンコールをうながす拍手というものがある。一般的なポップス系のコンサートであれば、バラバラとしていた拍手が途中で「パンパンパン...」という一定のリズムになるアレである。ボクはアレが好きではない。特に最近、アーティストがステージを去る前からアレになるということも多い。なぜだかアレに遭遇するととても恥ずかしく、悲しくなる。ボクは楽器の音や歌の声が鳴り止んでも音楽そのものは終わっていないと思っている。余韻という言葉でしか表せない気がするけれど、あの「パンパン...」を聞くとその余韻がムリヤリかき消されてしまって、なんともイヤな気持ちになるのだ。今回、本編が終わってカエターノとバンドがステージから消えて、再び登場するまでのしばらくの時間(たぶん4〜5分)、その「パンパン...」がなんと最後まで出なかった。拍手が鳴り止まなかったということだ。全員が素直に感動を、カエターノとバンドへの感謝を拍手であらわしたいと思っていたからではないかと思う。そんなファンを作ってしまうカエターノはやっぱりすばらしい、ともう一度感動したというわけだ。 ボクが初めてカエターノと遭遇したのは、たぶんまだ20歳を過ぎた頃。アメリカ録音の弾き語りアルバムが話題になっていた時だった。音も少し聴いたはずだけれど、実は全然覚えていない。そしてその前か後かは忘れてしまったけれど、どこかでカエターノが書いた文章が日本語に訳されていて、それを読んだ。確か政治的なこととかも書いていたのだけれど、とにかく難解な文章でさっぱりわからず、それ以来「カエターノはわからん」という印象だけでずっと聴かず嫌いだった。そんなカエターノを聴くきっかけは、コパンの最初のアルバムを録音したしばらく後、ベーシストのくにかずくんが、「ミーニャ・ヴォス、ミーニャ・ヴィーダ」が収録されたアルバム『リヴロ』を持ってきてくれたことだ。その後、当時の最新アルバムの『ノイチス・ド・ノルチ』を聴かせてもらって、カエターノ好きが決定的になった。くにちゃん、ありがとう。 カエターノ・ヴェローゾ: 1967年(!)に、ガル・コスタとのデュオ・アルバム「ドミンゴ」でデビューしたシンガー・ソング・ライター。すぐにジルベルト・ジルなどの仲間たちと「トロピカリズモ」運動(ロックをはじめ様々な音楽要素を取り入れるだけでなく精神的にも不要な文化の壁を突き崩すこと)を提唱、賛否を巻き起こしながらも、現在のブラジル・ポップス(MPB)の基礎を築いた。時の軍事政権に危険分子として拘束された後に国外退去となり、数年間ロンドンで亡命生活を送った。帰国後も精力的に活動し続け、現在までオリジナル・アルバムだけで(おそらく)37枚を発表。ブラジル・ポップスの最重要人物のひとり。 #
by copain-eiji
| 2005-05-31 10:52
| ■コンサート+ミュージシャン
1. 僕のサンバ
2. 私の道 3. ホジーニャ 4. マラガ 5. 或る女 6. かわいそうなハート 7. You Do Something To Me 8. 不幸の予感 9. モーホのアヴェ・マリア 10. サンパ 11. 君は微笑みかけた 12. 愛のわすれもの ボサ・ノヴァの創始者のひとりと言われるジョアン・ジルベルト。ミルトンと出会う少し前に「O Amor, o Sorriso e a Flor」というアルバムを見つけて買った。ジョアンについては何も知らなかったけれど、なぜ買ったかというと「ワン・ノート・サンバ」という曲が収録されていたから。何かの音楽フェスティバルに出演したアントニオ・カルロス・ジョビンのステージをTVで見ていたらこの曲を歌っていたのだが、その作曲のアイデアに衝撃を受けたのだ。メロディっていうのは上下に動いて初めてメロディなんだろうとなんとなく思っていたので、ずーっと同じ音が続いて曲が成立するなんて考えてもみなかった。そして同じ音を繰り返すメロディの後ろでコードが下がっていくという不思議な感覚。そう、ボサ・ノヴァとの出会いはやはりジョビンだったのだけど、その頃ピアノ音楽はあまり好きじゃなかったので、買ったのはギタリストのジョアンのアルバムだったというわけ。 このアルバム「ジョアン」は1991年に発表されたもので“ジョアン対オーケストラ”と言っていい。これがスゴイんです。決してオーケストラが脇役になることなく、ジョアンのささやく歌とギターと対等に張り合っているかのようです。ひとりでギターと歌だけでも、それぞれが絡み合いときに対立するかのような緊張感を生み出し、それが彼の魅力の大きなひとつだと思いますが、それが薄れてしまうことなく、余計にスリリングな世界を演出しているのは驚きました。こんな音楽は初めて聴いたんです。アレンジはクレア・フィッシャーという人。詳しくは知らないけれど、すごい人です。アート・ペッパーとかプリンスとかとも競演しているらしい。近いところでは小野リサのアルバムにも参加してました。 18歳で一度ジョアンに出会い、その一枚だけをずっと聴いてきましたが、このアルバムで再び出会ったのはとても大きいことでした。「ジョアンはひとり(の演奏)でいい」という意見もわからなくはないですが、ひとりのジョアンが好きな人ならなおのこと、このスゴさはわかるはずです。 #
by copain-eiji
| 2005-05-19 12:19
| ■CD
|
メモ帳
最新のトラックバック
フォロー中のブログ
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||