ピエール・バルー「サ・ヴァ・サ・ヴィアン」(1971年)

a0030240_17292.gif1. サ・ヴァ・サ・ヴィアン
2. 愛から愛へ
3. 小さな映画館
4. おいしい水
5. 靴墨のビンとマロンクリーム
6. 愛する勇気
7. 80 A.B.
8. パリ・ウェリントン
9. 地球を取って
10. 港の歌
11. 森林
12. 小さな木馬
13. 僕がアザラシだった頃
14. 遭難 (ボーナストラック)
15. ベンの悲歌 (ボーナストラック)


最初の一枚に何を取り上げるべきか、少しだけ迷ったけれど、これしかありません。

17歳のある夜、いつものように仕事帰りにレコード屋で物色していると、ふたつのレコードがボクの懐に入ってきた。その日は「自分のまったく知らない人のレコードを買ってみよう」と決めていた。なんの情報もなく、ジャケットから醸し出されるものだけで選び、二組のミュージシャンのレコードを手に取った。そのひとつが、このピエール・バルーのサヴァ・サ・ヴィアンだった。今から考えても、なぜこれだったのかという明確な理由は見出せない。

この素朴なサウンドのアルバムを最初に聞いた時は、正直言ってこんなに聞き続けることになるとは思ってもみなかった。ただ他のなにからも感じることのできない感覚があったことは確かだ。そして、このピエール・バルーという人について知れば知るほど、この人の姿勢に感動し、自分もそうありたいと思うようになっていった。表面的な成功や評判に決して左右されず、心に正直に感じるものだけを認めていくこと。それは、音楽だけでなく生き方そのものがそうでなければ、いつか破綻してしまう危険性を併せ持った価値観だ。そういう考えがただ頭でっかちにあるだけでなく、キチンと自分の作品に反映されているというのがこの人のすごいところだ。

「閉ざされてしまった魂は、愛する勇気がないんだ
 ...子どもの頃の無防備な愛を再び見出せるだろうか
 それなしには、もう愛する勇気がない」
この人の歌には、すべてがそのままにある。こんな“ごまかしのない音楽”にそれまで出会ったことがなく、その後も数えるほどしかない。この人のキャリアに惹かれる人は世の中に多くいるだろうけど、音楽に惹かれるという人はもしかしたらそんなに多くないかもしれない。この音楽のごまかしのなさはあまりにもまっすぐ心に響き、ときに痛いほどだ。ボクは若いときにこの人(レコード)と出会えて、本当にしあわせだったと思っている。

2003年4月、初めてのパリで、なんとピエール・バルーの自宅にお邪魔させてもらった。とにかく感謝の気持ちを伝えたかった。ボクのこのアルバムとの出会いを話したら、「そういうのは“ニオイ”がするんだ」と、彼自身のいろんな人たち/音楽たちとの出会いを、そう表現してくれた。彼が撮った映画を見せてもらった(映画監督としてもすばらしい!)。テーブルの上に、いくつかCDが雑然と置いてあったので見てみたら、彼が昔デビューさせたモラーヌという人の新作があった。ちゃんとCDを買って聞いているんだと思った。ますます、この人が好きになった。

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(ピエール・バルー/Pierre Barouh)作詞家・歌手・映画監督・レコードプロデューサー。1934年2月19日、パリ郊外のルヴァロワ生まれ。14歳のときにプレヴェールの映画「夜の訪問者」を観て詩人になることを決意。そのとき以来放浪を続け、スポーツジャーナリストや映画の助監督をしていたが、友人の監督する1966年の映画「男と女」に出演、音楽も担当し一躍有名人の仲間入りとなった。しかし「スターのゲットーは嫌い」と惜しげもなくその地位を捨て、世の中に認められない才能を発掘し紹介する仕事に専念する。彼のレコード会社「サラヴァ」は世界で最初のインディー・レーベルと言え、ブリジット・フォンテーヌルイス・フューレイナナ・ヴァスコンセロスアート・アンサンブル・オブ・シカゴジャン・ロジェ・コシモン、近年でもビーアフランソワーズ・クシェイダなど、すばらしいアーティストたちを紹介してきた。1980年代初頭には、日本のアーティストとのコラボレーション・アルバムを発表。その後、日本人の女性と結婚し、現在はフランスと日本での生活が基本。バレーボールのフランス代表選手に選ばれたほどのスポーツマンでもある。「ギターとテニス・ラケットがあれば、世界中どこでも生きていける」という人。
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by copain-eiji | 2004-06-23 17:30 | ■CD


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