<   2005年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

カエターノ・ヴェローゾ 「2005東京公演」

5/24(火)、ボクたちの数年来の夢が現実になった。
目の前で(と言うにはかなり遠かったけど)歌うカエターノと時間を共にしたのだ。

バンドを従えてステージに登場したカエターノが歌いだしたのは
「ミーニャ・ヴォス、ミーニャ・ヴィーダ(わが歌、わが人生)」。

...幸せだから、
 苦しみの中にあるから、
 待っているからボクは歌う。
 幸せになるため、
 苦しみとともにあるため、
 待つためにボクは歌う...

a0030240_339134.gif「歌は心に届く」ということを、本当に久しぶりに身体の芯から体験した。ブラジル・バイーア州出身の62歳のシンガーの、ホールいっぱいに響くツヤとハリのある歌声に、完全に参ってしまった。カエターノのステージはシンプルで、最低限必要なものしかそこにはない。巨大な装置も派手な演出もなく、マルチビジョンもない。だから2階席から見たボクたちにはカエターノの細かな表情は見えない。でもそれがかえって音楽に集中できて良かったかもしれないとさえ思う。バンマスでチェロ奏者のジャキス・モレレンバウンを筆頭に、ギター2本、ベース・ギター、ドラムス、パーカッションの名手たち6人が繰り出すさまざまな表情の音が唯一、そして最高の演出だった。

カエターノがすばらしいミュージシャンで、そのコンサートでの演奏が文句なく感動的であったことは間違いないが、これについてはそれ以上に何も書きようがない。どんなに言葉を使っても、音楽の「感動」そのものを伝えることは不可能だからだ。少なくともボクにはムリだ。なので、ちょっと視点を変えた話題をひとつ。

来日前にカエターノに電話インタビューしたという中原仁さん(ブラジル音楽の評論家として第一人者)のサイトに、その時のコメントが載っていたので転載させてもらう。
カエターノ:『 これまで日本で行なったすべてのコンサートで、私が感動したことがある。曲が始まって、それに聴き入る日本のオーディエンスの<静けさ>。これは、他の誰にも真似できない。まるで、そこに人がいないと思うほどの、ピュアな静けさだ。禅の静寂とも言える。そこには何もない,白紙だ。無人の前で歌っているようにすら感じる。そして、曲が終わって拍手が起き、とても自然に場内が活気づき、熱狂する。この自然な姿勢が、とても素晴らしいと思うし、こういうオーディエンスには、今日の今日まで、日本でしか出会ったことがない。』

予定調和の、決まりきった作法としてのライブの盛り上がりというのがボクは大嫌いなのだけれど、この言葉を聞いて、ボクがカエターノを好きになったのは当然のことだったと理解できた。よく日本の客は静かすぎるとか、関東の客はノリが悪いとかというミュージシャンの声を聞くのだけれど、それって音楽に何も関係ないことだと不快に思っていた。実は今回のコンサートも、正直に言うと他のお客さんの反応が心配だった。しかしコンサート最後に、それが余計な心配だったことがわかった。カエターノの音楽を聴きに来たお客さんたちの姿に、ボクも感動してしまったのだ。それはコンサート本編が終わった後、当然のようにアンコールがある。そしてアンコールをうながす拍手というものがある。一般的なポップス系のコンサートであれば、バラバラとしていた拍手が途中で「パンパンパン...」という一定のリズムになるアレである。ボクはアレが好きではない。特に最近、アーティストがステージを去る前からアレになるということも多い。なぜだかアレに遭遇するととても恥ずかしく、悲しくなる。ボクは楽器の音や歌の声が鳴り止んでも音楽そのものは終わっていないと思っている。余韻という言葉でしか表せない気がするけれど、あの「パンパン...」を聞くとその余韻がムリヤリかき消されてしまって、なんともイヤな気持ちになるのだ。今回、本編が終わってカエターノとバンドがステージから消えて、再び登場するまでのしばらくの時間(たぶん4〜5分)、その「パンパン...」がなんと最後まで出なかった。拍手が鳴り止まなかったということだ。全員が素直に感動を、カエターノとバンドへの感謝を拍手であらわしたいと思っていたからではないかと思う。そんなファンを作ってしまうカエターノはやっぱりすばらしい、ともう一度感動したというわけだ。


ボクが初めてカエターノと遭遇したのは、たぶんまだ20歳を過ぎた頃。アメリカ録音の弾き語りアルバムが話題になっていた時だった。音も少し聴いたはずだけれど、実は全然覚えていない。そしてその前か後かは忘れてしまったけれど、どこかでカエターノが書いた文章が日本語に訳されていて、それを読んだ。確か政治的なこととかも書いていたのだけれど、とにかく難解な文章でさっぱりわからず、それ以来「カエターノはわからん」という印象だけでずっと聴かず嫌いだった。そんなカエターノを聴くきっかけは、コパンの最初のアルバムを録音したしばらく後、ベーシストのくにかずくんが、「ミーニャ・ヴォス、ミーニャ・ヴィーダ」が収録されたアルバム『リヴロ』を持ってきてくれたことだ。その後、当時の最新アルバムの『ノイチス・ド・ノルチ』を聴かせてもらって、カエターノ好きが決定的になった。くにちゃん、ありがとう。


カエターノ・ヴェローゾ:
1967年(!)に、ガル・コスタとのデュオ・アルバム「ドミンゴ」でデビューしたシンガー・ソング・ライター。すぐにジルベルト・ジルなどの仲間たちと「トロピカリズモ」運動(ロックをはじめ様々な音楽要素を取り入れるだけでなく精神的にも不要な文化の壁を突き崩すこと)を提唱、賛否を巻き起こしながらも、現在のブラジル・ポップス(MPB)の基礎を築いた。時の軍事政権に危険分子として拘束された後に国外退去となり、数年間ロンドンで亡命生活を送った。帰国後も精力的に活動し続け、現在までオリジナル・アルバムだけで(おそらく)37枚を発表。ブラジル・ポップスの最重要人物のひとり。
[PR]
by copain-eiji | 2005-05-31 10:52 | ■コンサート+ミュージシャン

ジョアン・ジルベルト 「Joan」 (1991)

a0030240_12175123.gif1. 僕のサンバ
2. 私の道
3. ホジーニャ
4. マラガ
5. 或る女
6. かわいそうなハート
7. You Do Something To Me
8. 不幸の予感
9. モーホのアヴェ・マリア
10. サンパ
11. 君は微笑みかけた
12. 愛のわすれもの


ボサ・ノヴァの創始者のひとりと言われるジョアン・ジルベルト。ミルトンと出会う少し前に「O Amor, o Sorriso e a Flor」というアルバムを見つけて買った。ジョアンについては何も知らなかったけれど、なぜ買ったかというと「ワン・ノート・サンバ」という曲が収録されていたから。何かの音楽フェスティバルに出演したアントニオ・カルロス・ジョビンのステージをTVで見ていたらこの曲を歌っていたのだが、その作曲のアイデアに衝撃を受けたのだ。メロディっていうのは上下に動いて初めてメロディなんだろうとなんとなく思っていたので、ずーっと同じ音が続いて曲が成立するなんて考えてもみなかった。そして同じ音を繰り返すメロディの後ろでコードが下がっていくという不思議な感覚。そう、ボサ・ノヴァとの出会いはやはりジョビンだったのだけど、その頃ピアノ音楽はあまり好きじゃなかったので、買ったのはギタリストのジョアンのアルバムだったというわけ。

このアルバム「ジョアン」は1991年に発表されたもので“ジョアン対オーケストラ”と言っていい。これがスゴイんです。決してオーケストラが脇役になることなく、ジョアンのささやく歌とギターと対等に張り合っているかのようです。ひとりでギターと歌だけでも、それぞれが絡み合いときに対立するかのような緊張感を生み出し、それが彼の魅力の大きなひとつだと思いますが、それが薄れてしまうことなく、余計にスリリングな世界を演出しているのは驚きました。こんな音楽は初めて聴いたんです。アレンジはクレア・フィッシャーという人。詳しくは知らないけれど、すごい人です。アート・ペッパーとかプリンスとかとも競演しているらしい。近いところでは小野リサのアルバムにも参加してました。

18歳で一度ジョアンに出会い、その一枚だけをずっと聴いてきましたが、このアルバムで再び出会ったのはとても大きいことでした。「ジョアンはひとり(の演奏)でいい」という意見もわからなくはないですが、ひとりのジョアンが好きな人ならなおのこと、このスゴさはわかるはずです。
[PR]
by copain-eiji | 2005-05-19 12:19 | ■CD

ミルトン・ナシメント「Travessia(トラヴェシア)」 (1967)

a0030240_23363378.gif1. トラヴェシア
2. トレス・ポンタス
3. 信じる心
4. イルマォン・ジ・フェー
5. 塩の歌
6. 風車
7. モーホ・ヴェーリョ
8. ジラ・ジロウ
9. マリア、ミーニャ・フェー
10. 十月


自分の生まれた年にどんな出来事があったか、どんな曲が生まれ聴かれていたのか、ボクにはとても興味がある。ブライアン・ウィルソンがアルバム「スマイル」の制作を断念したのはこの年の春で、ボクの生まれる直前までビルボードのシングルNo.1に座っていたのはヤング・ラスカルズの「グルーヴィン」だったし、その翌週のアルバム・チャートのトップには「サージェント・ペパーズ」が登場...

と、どうしてもアメリカ・イギリスを中心に見るとそういうことになるわけだけれど、ブラジルでもうれしいことが起こっていました。この年、テレビ局の主催する国際ソング・フェスティバルで2位(トラヴェシア)と4位(モーホ・ヴェーリョ)を獲得しデビューが決まったアーティストが、ミナス・ジェライス州出身の若者、ミルトン・ナシメントだったのです。

ミルトンの声を初めて聞いたその瞬間から、聴いているこちらがどこか遠くへ飛んで行ってしまいそうな、宇宙へまでも連れて行ってくれそうなその声の虜になりました。“ブラジル音楽の宝”と言われるミルトンとボクが出会ったのは、実はムーンライダースのアルバム「ヌーベル・バーグ」。ライダースはこのアルバムの最後の曲として「トラヴェシア」に新しい日本語詞をつけて歌っていました。オリジナルとは全く違う歌詞で、もちろんボーカルもミルトンではなかったわけですが、ライダースが歌うその曲から最初に受けた印象と後で少しずつ知っていったミルトン自身の魅力とは驚くほど一致していたのです。それは、曲自身が持つ魅力のなせるわざだとボクは信じていますが、そんな魅力をたたえた曲、ボクの心を捕らえる「曲」にブラジル人のアーティストのものが多いのは偶然ではないと思います。アントニオ・カルロス・ジョビンはもちろん偉大ですが、ボクの心の扉を開いたのはこのミルトン、そしてほぼ同時期に出会ったジョアン・ジルベルトでした。このふたりに出会ったことが、その後かけがえのないアーティストたちとの出会いへと導くものだったとは、18歳のボクはまだ知りませんでした。

歌謡祭での入賞から、ミルトンの長年の夢だったアルバム制作の道が開かれ、そして出来上がったのが昨年初めてCD化されたこのアルバム。若さいっぱいのミルトンの才能が満ち溢れています。このアルバムのためにプレゼントされた、ミルトンの友人たちからの言葉を紹介して終わりましょう。
『ミルトンの音楽は美しく、真面目で、静かだ。まるで彼自身のように。』エドゥ・ロボ
『ミルトンは常に、僕にとっては明らかに、僕より遥かに偉大なミュージシャンだ。』カエターノ・ヴェローゾ

しばらくの間、ブラジル人のアーティストを紹介することにします。
[PR]
by copain-eiji | 2005-05-11 00:59 | ■CD