小川美潮 「小川美潮 +2」 (1984)

9/17(金)のライブは、ヴァイオリンの高橋香織さんの初リーダーライブでした。祥子の日記にもあったように、ボクらのお目当てはバックの3人。でも3人以外にもピアノ+ハモンド+ピアニカの吉森さんもよかった。

まずドラムの仙波清彦。邦楽/仙波流の家元でもある師は、芸大邦学部在学中に、パーカッショニストとしてフュージョンバンド、“スクエア”でデビュー、その後スタジオ・ミュージシャンとして膨大な数のセッションに参加。“はにわ...”というバンド数種のリーダーでもありました。「和風駄楽器」奏者の第一人者として、今も迷奏中です。ボクは実はパーカッションよりも、彼の叩くドラムが大好きです。

ギターの板倉 文は、テクノ全盛期にバンド “チャクラ” でデビュー、“キリング・タイム”で変幻自在摩訶不思議ぶりをさらに充実させ、CMや映画音楽も多数手がけながら、いまだに正体不明のセッション・ギタリストで通しているのは素晴らしい。どこへ行くのかわからない刺激的なギター、ボクは大好きです。

そしてヴォーカルの小川美潮。“チャクラ”でデビュー後は、セッション・ヴォーカリストとして“Wha-ha-ha”、“はにわ”、“キリング・タイム”、“本田俊之ラジオクラブ”ほか多数で活躍。CMでも、「すぐっ、そこっ、サンクスっ!」とか歌ってたりします。その個性的な声は、聞けば一瞬でわかります。

で、重要な出会いは小川美潮がきっかけだったので、彼女の最初のソロ・アルバムを紹介します。

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1. お〜い
2. 行っといで
3. 時計屋
4. ポテトロイド
5. おかしな午後
6. 光の糸、金の糸
7. 花の子供
8. これからのむこう (ボーナス・トラック)
9. へんなかさ (ボーナス・トラック)


1〜7までがオリジナル・アルバムの収録曲。最近のCD化で、翌年に出たシングルが追加収録されてます。ムーンライダースの白井良明がプロデュースだったことから、ボクはシングルの方を最初に聞き、その後でアルバムを購入しました。

シングル 「これからのむこう」 で感じた、小川美潮というアーティストの魅力、そのひとつは彼女の書く歌詞でした。(作曲はムーンライダースの鈴木慶一)

『生まれた ところへ ワタシヨブコエ
 帰ろう 帰りたい いちばんはじまりまで』

『おもしろいね 朝の空も夕暮れも燃える赤
 はじまりの色と 終わりの色はおんなじなの』

『次から次へ吹いてゆく この風のように
 わたしは旅をくりかえす これからのむこうへ』

 (「これからのむこう」より)

ボクはこの曲と出会うまで、日本語でこんなにポジティブな思いを抱いた歌詞を聞いたことがありませんでした。それを彼女のユニークな声が完璧なものにしています。自分が歌うための、自分が生きていくための歌詞を書き、歌っている人だ!、という感動とともに、小川美潮という才能と出会いました。その感触に確信を持ち、すぐにアルバムを手に入れました。

アルバム全体というよりは 「おかしな午後」 という一曲によって、小川美潮はボクの中でますます特別な存在になりました。この曲は、作詞:小川美潮、作曲:板倉 文というチャクラ・コンビ。当時は板倉 文という人についてはほとんど知りませんでしたが、これで 「いい曲を作る人だ」 と、認知しました。この曲の場合は、歌詞というより【曲】がポジティブなんです。「これからの...」の歌詞で感じたものと同じものが、この曲にはありました。曲はここに載せられないので残念ですが...。

この2曲と出会っていなかったら、現在ボクが作る音楽はもっと悲観的なイメージに根ざしたものになっていたと思います。そういう音楽に惹かれていましたし、当時のボクの中から自然に生まれてくるのは「暗い」ものばかりでしたから。だからこの2曲、そして小川美潮と板倉文のふたりとの出会いは、「ボクの音楽」にとっては大きな事件となりました。

「おかしな午後」は後年、映画『つぐみ』の主題歌としてもう一度レコーディングされています。
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# by copain-eiji | 2004-09-26 07:33 | ■CD

斉藤由貴 「AXIA アクシア」 (1985)

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1. 卒業
2. 石鹸(シャボン)色の夏
3. 青春
4. フィナーレの風
5. AXIA 〜かなしいことり〜
6. 白い炎
7. 上級生
8. 手のひらの飛行船
9. 感傷ロマンス
10. 雨のロードショー


衝撃的な出会いがいつだったのかはわからない。でもその “衝撃” は今でも覚えている。それは一本のCMだった....。

『ごめんね いままで黙ってて
 ホントは彼がいたことを...』

「AXIA」という名のカセットテープのコマーシャルで、この曲がTVから流れてきたのだ。ほんの十数秒だったろうから、ホントにこの部分くらいしか流れていなかったろう。でもそれだけで十分だった。背中で聞いて、ハッと振り向いて、しばらく止まってしまった。メロディと声と、そして言葉が頭から離れなくなってしまった。やがてそれが「斉藤由貴」という新人アイドル歌手だということがわかった。その数ヶ月前に「卒業」というデビューシングルが出ていて、TVにも出ていたはずだから、きっと彼女のことは知っていたはず。曲も聴いていたはず。でもこの曲をCMで聴いた日が、ボクが斉藤由貴に出会った日だった。

この曲のタイトルは「かなしいことり」。銀色夏生(ぎんいろなつを)という、当時は作詞家として活躍してた人(女性)の作詞作曲です。ある日TVを見ていた彼女は、「青春という名のラーメン」という名のカップラーメンのCMに出ている斉藤由貴と遭遇。“あの子を見てたら曲ができたので聞いてください”と、事務所にテープが送られてきたそうだ。普通レコード会社はそんな曲は取り上げないが、とにかくその曲に普通でない“チカラ”があったことは間違いない。結局それはレコーディングされ、CMに使われ、デビューアルバムのタイトル曲になった。ボクはそのTVCMで、斉藤由貴と銀色夏生という、ふたつの才能と同時に出会ったことになる。

『いつまでもこうしていたいけど
 帰れないけど帰るわね
 これから誰を愛しても
 ふたりは胸が痛いのね』 

と続き、

『やさしい言葉とため息で
 そっとわたしを責めないで...
 やさしい言葉とため息で
 そっとわたしを捨てないで...』

と、この曲は締めくくられる。
とても褒められるシチュエーションではないし、実際そんなことがあっちゃぁ困るよっていう世界だ。でもそれが良い悪いということではない。この曲を聴くボクにできるのは、ボクはそういうことが起り得る世界に生きているんだという、架空の現実を受け入れることだけだ。歌詞もメロディもアレンジもそれを歌う声も、もちろん全部の要素がひとつになった結果なんだけど、なぜそんなにこの曲にチカラがあるのか、今もって納得できる説明ができない。わかるのは、銀色夏生と斉藤由貴、このふたりの出会いがなければこの名曲は生まれなかったということだけだ。本当にいい曲というのはそれでいいのかもしれない。やたらとわかったような解説をされるよりも、そちらのほうが曲にとってもしあわせなことのような気がする。

デビュー曲の「卒業」は、詞:松本 隆、曲:筒美京平という、泣く子も黙るコンビの作。これはプロとして “さすが” の出来映えです。が、アルバムのあとの曲はまぁ、あまりお勧めしません。そういう意味で、これは典型的なアイドルのLPレコードだったのです。しかし、次のアルバムからは怒濤の名作が続きます。斉藤由貴本人が作詞でかかわり始め、少しずつプロデューサー的な役割も担っていったことと同時に、制作のために集められたアーティストたちが、斉藤由貴というキャラクター(素材)に惹かれて、彼女だけが歌うべき、完成度の高い作品を提供するようになったからです。これはもちろん、プロデューサー長岡氏を中心としたスタッフの功績なのですが、彼らにその道筋を確信させるものとしたのは、この「かなしいことり」だったと信じています。
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# by copain-eiji | 2004-09-12 17:15 | ■CD

The Beach Boys 「All Summer Long」 (1964)

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1. I Get Around
2. All Summer Long
3. Hushabye
4. Little Honda
5. We'll Run Away
6. Carl's Big Chance
7. Wendy
8. Do Your Remember
9. Girls On the Beach
10. Drive-In
11. Our Favorite Recording Sessions
12. Don't Back Down
(Bonus Tracks)
13. All Dressed Up For School
14. Little Honda (Alternate Take)
15. Don't Back Down (Alternate Take)

ビーチボーイズの通算6枚目のアルバム。とにかく彼らも素晴らしく「いい曲」が多いので困りますが、一般的なイメージとしても受け入れやすく、アルバムとしての完成度も高い本作から紹介します。全米1位を獲得した「I Get Around」、ホンデルズのバージョンでトップ10に入った「Little Honda」、同名映画の主題歌で、日本では山下達郎がカバーしたことでも人気の「Girls On the Beach」など、名曲がたくさん入っています。

個人的に特に好きなのは、後年の映画「アメリカン・グラフィティ」で印象深く使われた、まさに映画的な曲「All Summer Long」。いろんなシーンがあらわれては消え、とイメージさせるような歌詞と、エンドタイトルにピッタリの曲。これが若干21歳の若者が作る音楽か!? 

ビートルズが、ジョン・レノンとポール・マッカートニーというふたりが切磋琢磨してお互いの才能を開花させていったのに対して、ビーチボーイズはリーダーのブライアン・ウィルソンが、いろんな作詞者と共同作業することでイメージを膨らませていったとはいえ、基本的にひとりで突き進むスタイルでした。ブライアンは、アイドル・バンドとしてイメージを固定し安定した収益を得たいレコード会社と意見が食い違い、やがて対立するようになりますが、この天賦の才を万全のバックアップで世に送り出せなかったのは、現代アメリカ音楽史上で最大の失敗だったと言っていいでしょう。

もう一曲紹介しなければならないのは、シンプルな中にも若者特有の苦悩を見事に描いた「We'll Run Away」。つまり、“駆け落ちしてやるぅっ!”っていう歌なんですが、恋に翻弄されている心の状態を、これほど音楽として描ききった曲をボクは知りません。幼稚ではあるんですが、一応若者なりに考えてはいるんだっていうことが、エンディングのラインでは音楽的にも“オチ”になっています。ビーチボーイズの中ではあまり話題にならない曲ですが、彼らの魅力のひとつを最大限にあらわしているこの曲を聞き逃す手はありません。1分59秒、一瞬も気を抜かずにお聴きください!

当時は発表されず、ボーナス・トラックとしてCDに収録された「All Dressed Up For School」もビックリ仰天!です。この曲を聴くと、当時のブライアンが、ビートルズなど同世代のミュージシャンとは一線を画すアレンジ力を持っていたことがハッキリとわかるでしょう。こんなカッコいい曲がなんでボツになっちゃったの!?

あなたがビーチボーイズ初心者だとしても、イメージを大きく外れることなく、きっと満足いただけるアルバムです。
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# by copain-eiji | 2004-09-07 17:00 | ■CD

ポール・サイモン「イン・コンサート」(ビデオ/1981)

a0030240_3405383.gif1. Me and Julio Down by the Schoolyard
2. Still Crazy After All These Years
3. Ace in the Hole
4. Something So Right
5. One-Trick Pony
6. Jonah
7. Fifty Ways to Leave Your Lover
8. Late in the Evening
9. American Tune
10. The Boxer
11. The Sound of Silence

気がついたら、ほぼ一ヶ月も更新してませんでした。すみません。
さて、ビートルズと来たら次はこの人、ポール・サイモンです。

ロックンロール・バンドのビートルズにぞっこんだった小学生の頃のボクにとって、フォークというのは基本的に「軟弱なもの」としか映りませんでした。中でも、ビートルズと並べて語られることの多かった「サイモン&ガーファンクル」は、アート・ガーファンクルの美声もあって、ボクの中では「軟弱」の代表格であり、よく知りもせずに「絶対好きにはならない」と決めていたほどでした。そんな認識が変わるきっかけとなる事件が、中学2年のときに起こりました。

それは、ニューヨークのセントラルパークに50万人を集めた「サイモン&ガーファンクル再結成コンサート」。噂は聞いていて、「ごっ、ゴジュウマンニンかよぅっ!」とかなりのけぞっていましたので、それがTVで放映されると聞いて、この歴史的な出来事は見ておかなきゃいけないな、となぜか思ったのでした。そのころ家に来たばかりのデッカいビデオテープレコーダーで録画し、結局何度も何度も繰り返して観ることになりました。「案外いい曲が多いじゃないか」と思ったのと、その放映では歌詞の対訳が曲に合わせて映し出されていたので、観るうちにポール・サイモンの歌詞の世界にすっかり引き込まれてしまいました。明らかに、ビートルズやボクの思っていた“軟弱フォーク”とは違う何かがそこにあったからです。以来、ボクの尊敬するソングライターの筆頭に、ポール・サイモンは君臨し続けています。

このビデオは、『ワン・トリック・ポニー』(残念ながら興行的には大失敗に終わった、サイモン脚本/監督/主演映画、そして同名のサントラ・アルバム)発表後で、再結成コンサートの約一年前にフィラデルフィアで行なわれた、サイモンのソロ・コンサートの模様を編集したものです。ポールの独創的なギターと「スタッフ」の面々を中心に編成されたバンドのタイトな演奏にのって、名曲の数々が演奏されます。このアルバムとライブに、ポールが相当の自信を持っていたであろうことがわかります。しかし、結局その自信は売上にはあまり反映されず、セントラル・パークでのチャリティ・コンサートを持ちかけられた時は半ば自信喪失で、「S&G」でなら引き受ける...となったそうです。なんとも人間クサい、彼を身近に感じさせるエピソードです。

ポール・サイモンの魅力をひとことで言うと、そんな人間クサさを感じさせながら、辛辣な社会批評を備えた歌詞に、特別に巧くも美しくもないボーカル。実はひどく高度な作曲+ギター技術を備えた曲でありながら、いつでも誰でも作れそうな簡単な曲に聞こえてしまうという、そのアンバランスさです。それは、サイモン自身の身の処し方をそのまま反映しているかのようです。

誰もが羨む成功、そして才能を持ちながら、どこまでも皮肉屋で「物事がうまくいくことに慣れてないんだ」(Something So Rightより)と言うひとりの男。「たったひとつの芸しか持たない馬」(One-Trick Pony)であり、「歌に飲まれた、若気の至りの生き残り」(Jonah)だと、自分を嘲るひとりの男。おそらくそれらは、自分がユダヤ系アメリカ人であるという自覚と、アメリカという国を愛しつつ、それゆえに国の行方を憂いているという当時の状況と無関係ではないと思います。代表曲「サウンド・オブ・サイレンス」が、自分の思惑を大きく外れて多くの人々に受け入れられたことを、何も考えずに利用することをせず、逆にそれゆえに抱えることになった苦悩と向き合い続けている彼に、人間としての誠実さを感じるのです。そして、ボクの感じるそれらの魅力のピークがこの時期であったことは確かです。

現在は、このビデオ/DVDの日本版はなく、アメリカ版の「Live at Tower Theatre」が出ているのみです。もちろん日本語字幕はないでしょう。残念です。
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# by copain-eiji | 2004-08-24 03:39 | ■コンサート+ミュージシャン

ビートルズ「プリーズ・プリーズ・ミー」(1963年)

a0030240_141418.gif1. I Saw Her Standing There
2. Misery
3. Anna (Go To Him)
4. Chains
5. Boys
6. Ask Me Why
7. Please Please Me
8. Love Me Do
9. P.S. I Love You
10. Baby It's You
11. Do You Want To Know A Secret
12. A Taste Of Honey
13. There's A Place
14. Twist And Shout

ビートルズはもうさんざん語り尽くされていますが、「音楽遍歴」というからには外すことはできません。ボクなりに語ってみます。

リバプールという地方都市の若者たち。やがてイギリス全国、そしてアメリカ、全世界へと人気を広げていったビートルズの、これはその旋風が吹き荒れる直前にレコーディングされたデビュー・アルバム。たった一日、約10時間で録音されたというのが今から考えれば驚異です。ジャズのレコードじゃあるまいし...。

14曲中、6曲は他アーティストのレパートリーからのカバー曲。カバー曲が多いのはこの時代のバンドでは普通のことで、このカバー曲がどれも見事に自分たちのモノになっている点にビックリさせられる。他人の持ち歌を自分のものにするのはとっても難しいんです。(10)や(14)などは日本のTVでも頻繁に使われるので、聴いたことがある方も多いでしょうが、もう完璧です。

ボクの注目は、(3)の「Anna (Go To Him)」。アーサー・アレキサンダー(Arthur Alexander)作のこの曲は、このレコーディングと同年(1962年)に発表されたもの。誰よりも早く取り上げたかったのだろうか。そんな自信があったと思わせるのは、ジョン・レノンのボーカル。バックの演奏はほぼアレキサンダーのバージョンと同じ。しかしボーカルが違う。違うのは細かい歌い方とかもだけど、とにかく格が違う。なぜ二十歳そこそこの若造の歌が、こんなにも自信に満ちていて、カッコいいのだろう。しかもこのレコーディングの日、ジョンは風邪をひいていて、鼻声で歌っているのだ。許せない。

ボクにとってのビートルズの魅力のおそらく半分以上は、ジョン・レノンのボーカルである。ジョンの歌のカッコよさは、ただの巧さでは説明がつかない。自分の歌が情けないことと無関係ではないだろうが、ボクは歌の天才に(あくまでもボクがカッコいいと思う人だけだが)めっぽう弱い。楽器ならなんとかなるけれど、歌がうまいのは、もう“卑怯”だと思う。ジョンの、若さいっぱいの魅力にあふれたボーカルがストレートに聴ける、ビートルズの初期作品が大好きなのだ。

ビートルズがアレキサンダーの持ち歌のカバーで公式にレコーディングしているのはこの「Anna」だけだが、デビュー前のライブやラジオ出演時を含めると他に3曲カバーしている。特に「Soldiers Of Love」という曲はジョンのボーカルの魅力を引き出すのにもってこいだ。アルバム「Live at BBC」で聴くことができる。
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# by copain-eiji | 2004-07-27 01:05 | ■CD

アグネス・チャン「小さな恋の物語/ふたりの牧場」(1973年)

a0030240_14721.gif1974年、小学校1年生の冬に、両親にはじめてレコードを買ってもらった。ボクの最初のアイドル、アグネス・チャンの「小さな恋の物語」。いい選択だったと思う。父ちゃんが突然、レコード大賞をとった五木ひろしの「夜空」のレコードを買うと言い出して、みんなでレコード屋さんに行った。「なにか欲しい?」と聞かれて、ねだるのが得意でなかったので、身をよじらせながら「これ」と言った。

次の年には兄ちゃんの友人を通して、全国ツアーをしていたベンチャーズに出会い、一気に洋楽へと関心が向かうけれど、その前にこういう音楽との関わりがあったことを、今はよかったと思ってる。A/B面どちらも、作詞:山上路夫、作曲:森田公一、編曲:馬飼野俊一という、歌謡曲作家の王道を行く人たち。今回久しぶりに2曲とも聞いてみた。どちらの歌も“サビ(Bメロ)”のメロディアスな展開が大好きで、いま自分で作る曲にもちゃんと影響があらわれていると思う。

後でわかることだけど、この少し後の時期から、アグネスのライブでは「はちみつぱい」というバンドがバックに雇われた。このはちみつぱいこそ、鈴木慶一が率いるムーンライダースの前身だった。アグネス・チャンのバックをきっかけに、「食べていける仕事」としてのバンド活動を目指し、ムーンライダースに変貌していったらしい。アグネスのライブ盤『ファミリー・コンサート(1975)』ではそのコンサートの模様が収録され、『Mei Mei いつでも夢を(1976)』では、楽曲提供〜レコーディングにまで関わっている。ピエール・バルー氏言うところの「ニオイ」説に説得力があると思うのは、ボク自身のこういう経験に基づいている。

残念ながら、現在入手可能なCDの中に「ふたりの牧場」は入っていないようです。「小さな恋の物語」は、ほとんどのベスト盤に入っています。
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# by copain-eiji | 2004-07-08 11:34 | ■CD

「こまったか」下町ライブ!(2004年06月30日)

a0030240_153551.gifこまったか? と聞かれても困るんですが、なんのこっちゃない、怪しいサックス奏者「梅津和時」率いる【こまっちゃクレズマ】+七色ボイスの【おおたか静流】のライブなのです。江東区の森下文化センターに観に行ってきました。

バンマスの梅津さんという人は、昔々「RCサクセション」のステージにいたり、その後もときどきセッションで見ていたけれど、リーダーのライブは実は初めてでした。ドラムの新井田さんはゼンゼン変わってなくてすばらしい。アコーディオンの張さん、初めて拝見しましたがすばらしい。この「こまっちゃ」ったさんたち、梅津おやじのキャラクターのせいか、チンドンっぽいイメージばかりが先行しますが、そのハーモニーの巧みさはステキです。ときどきバランスを崩しながらも(わざとか?)ここ一番の攻め上がりの怒濤ぶりは、ブラジル代表の試合を見ているようでした(サッカーの話ね)。

そして歌姫「おおたか」さん、この人もいろんなCMで声を聞くし、仙波さん関係とかで何度か見たことはあったんだけど、ちゃんとライブを見るのは実は初めてでした。「どうもすみませんでした。」最初にもう謝っちゃいます。なぜ今まで素通りしてきたのか。声がすばらしいのはもちろんのこと、はっきりと自分のうたの世界を持っていて、それがとってもキュートなんです。民謡とか昔の名曲ばかり歌ってるイメージがあって、ちょっと敬遠してたんですよ。ま、実際そういうCDが多いし、ご本人は違和感なくやってるかもしれないけど、いくつかCDを聴いてみて、声は好きだけどあまり関係ない場所にいる人かな、なんて勝手に思ってたんです。ホントにゴメンナサイ。ああいう部分がもっとCDでも出るといいなぁと思いました。

きょう再確認した大原則で一句。「音楽は、CDだけじゃわからない」
やっぱりナマでなきゃわからない部分があるんです。もちろん、スタジオでレコーディングされたものにはそれにしかないよさもありますが、それも本来は目の前で鳴っている音を録音してるわけで、本物を知らないであぁだこぉだ言うのは、やっぱり本筋とは違うんですな。どちらの良さも、違いもわかるオトナになりたいものです。

上は今回のコンサートの案内ですが、知り合いのチラシ描き職人、久原大河くん(天才!)の作品。そのうち画集が出るらしいよ。楽しみ楽しみ...。
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# by copain-eiji | 2004-07-01 15:37 | ■コンサート+ミュージシャン

「戦争のつくりかた」

a0030240_15106.gif先の国会で、いくつか有事関連法案が可決されましたが、日本は「戦争しない国」から「戦争できる国」に変わっていっています。わたしたちにこの流れを止めることはできないのでしょうか。この本は小学生でも読める、理解できる内容になっています。こちらのページから無料でダウンロードして読むことができます。

参院選挙前です。特にどこの政党を支援しているとかはないのですが、いまのメチャクチャな状況は変わってもらわなければ困ります。ボクらの小さな声は届くでしょうか。みんなが、「もしかしたら変わるかもしれない」っていう期待を持ち続けられる国でいてほしいと、切に思います。
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# by copain-eiji | 2004-06-28 15:11

鈴木慶一とムーンライダース「火の玉ボーイ」(1976年)

a0030240_11132.gif1. あの娘のラブレター
2. スカンピン
3. 酔いどれダンス・ミュージック
4. 火の玉ボーイ
5. 午後のレディ
6. 地中海地方の天気予報〜ラム亭のママ
7. ウェディング・ソング
8. 魅惑の港
9. 髭と口紅とバルコニー
10. ラム亭のテーマ〜ホタルの光

(CDはボーナストラックあり)


ボクの人生を変えた2枚のレコードのうちのもう一枚が、この火の玉ボーイ。ムーンライダースというバンドについては、ピエール・バルーと同じで予備知識は全然なかった。ただ「ムーンライダース」という名前はどこかで聞いていて、なぜかずっと心に引っかかっていた。夜空に黄色い月が光っているのを見るのが今でも好きなんだけど、いつの頃からか月を見上げては「ムーンライダース...」と、ひとりでつぶやいていました。

本来はリーダーである鈴木慶一のソロアルバムだったけれど、ジャケットの表記を誰かが間違えてしまって、現在も活動を続けている(恐るべし)ムーンライダーズのファーストアルバムか? いや違うぞ! という微妙な立場に置かれてしまったこのレコード。でも、もしムーンライダースの名前がクレジットされていなかったら、ボクはこの日このレコードを買わなかっただろうと思います。うっかりミスか勘違いが不思議に導いた出会い。再発盤で値段が1,500円だったことも、少年の背中を大きく押してくれました。

さてこのアルバム、とにかく「いい曲」が多い。多すぎです。いいメロディと、風景を目の前に浮かび上がらせる歌詞、そしてアレンジの言いようのない無国籍感覚は、日本的でもありイギリス的でもありカントリー風でもある。おっとチャイナもあるぞ。はじめて聞いた時から、目を閉じてこのレコードを聴いている間は、曲ごとに見たことのないどこかの国へ飛んで行ってしまう。そう、まるで映画のような音楽なのだ。自分で、作曲やカセットデッキでのレコーディングのまねごとを始めた頃のボクに、とてつもなく強い影響を与えてくれました。

細野晴臣、矢野顕子、南佳孝、徳武弘文、稲葉国光、矢野誠、林立夫、佐藤博、駒沢裕城、そしてもちろんムーンライダース....。とんでもないミュージシャンたちがたくさん参加して、なんと半年もかけてレコーディングされたという、贅沢な「架空の映画主題歌集」とでも言うべきか。歌だけじゃなくて、後ろの演奏に特に耳を傾けるようになったのも、このアルバムのおかげ。いま聞き返せばそんなに音数が多いとは思わないけれど、当時はヘッドホンで聴いていると、次から次へといろんな楽器の音が浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消え...興奮しました。

はっきり言いましょう。このレコードには「火の玉ボーイ」が住んでいて、見知らぬ国やあなたの隣の家の庭を駆け巡っているのです。そして、もしあなたがこの世界をちゃんと覗き込んだなら、そのときからはあなたが火の玉ボーイです。人生が変わるレコードなのです。
よい旅を。
幸運を祈ります。
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# by copain-eiji | 2004-06-28 01:12 | ■CD

ピエール・バルー「サ・ヴァ・サ・ヴィアン」(1971年)

a0030240_17292.gif1. サ・ヴァ・サ・ヴィアン
2. 愛から愛へ
3. 小さな映画館
4. おいしい水
5. 靴墨のビンとマロンクリーム
6. 愛する勇気
7. 80 A.B.
8. パリ・ウェリントン
9. 地球を取って
10. 港の歌
11. 森林
12. 小さな木馬
13. 僕がアザラシだった頃
14. 遭難 (ボーナストラック)
15. ベンの悲歌 (ボーナストラック)


最初の一枚に何を取り上げるべきか、少しだけ迷ったけれど、これしかありません。

17歳のある夜、いつものように仕事帰りにレコード屋で物色していると、ふたつのレコードがボクの懐に入ってきた。その日は「自分のまったく知らない人のレコードを買ってみよう」と決めていた。なんの情報もなく、ジャケットから醸し出されるものだけで選び、二組のミュージシャンのレコードを手に取った。そのひとつが、このピエール・バルーのサヴァ・サ・ヴィアンだった。今から考えても、なぜこれだったのかという明確な理由は見出せない。

この素朴なサウンドのアルバムを最初に聞いた時は、正直言ってこんなに聞き続けることになるとは思ってもみなかった。ただ他のなにからも感じることのできない感覚があったことは確かだ。そして、このピエール・バルーという人について知れば知るほど、この人の姿勢に感動し、自分もそうありたいと思うようになっていった。表面的な成功や評判に決して左右されず、心に正直に感じるものだけを認めていくこと。それは、音楽だけでなく生き方そのものがそうでなければ、いつか破綻してしまう危険性を併せ持った価値観だ。そういう考えがただ頭でっかちにあるだけでなく、キチンと自分の作品に反映されているというのがこの人のすごいところだ。

「閉ざされてしまった魂は、愛する勇気がないんだ
 ...子どもの頃の無防備な愛を再び見出せるだろうか
 それなしには、もう愛する勇気がない」
この人の歌には、すべてがそのままにある。こんな“ごまかしのない音楽”にそれまで出会ったことがなく、その後も数えるほどしかない。この人のキャリアに惹かれる人は世の中に多くいるだろうけど、音楽に惹かれるという人はもしかしたらそんなに多くないかもしれない。この音楽のごまかしのなさはあまりにもまっすぐ心に響き、ときに痛いほどだ。ボクは若いときにこの人(レコード)と出会えて、本当にしあわせだったと思っている。

2003年4月、初めてのパリで、なんとピエール・バルーの自宅にお邪魔させてもらった。とにかく感謝の気持ちを伝えたかった。ボクのこのアルバムとの出会いを話したら、「そういうのは“ニオイ”がするんだ」と、彼自身のいろんな人たち/音楽たちとの出会いを、そう表現してくれた。彼が撮った映画を見せてもらった(映画監督としてもすばらしい!)。テーブルの上に、いくつかCDが雑然と置いてあったので見てみたら、彼が昔デビューさせたモラーヌという人の新作があった。ちゃんとCDを買って聞いているんだと思った。ますます、この人が好きになった。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

(ピエール・バルー/Pierre Barouh)作詞家・歌手・映画監督・レコードプロデューサー。1934年2月19日、パリ郊外のルヴァロワ生まれ。14歳のときにプレヴェールの映画「夜の訪問者」を観て詩人になることを決意。そのとき以来放浪を続け、スポーツジャーナリストや映画の助監督をしていたが、友人の監督する1966年の映画「男と女」に出演、音楽も担当し一躍有名人の仲間入りとなった。しかし「スターのゲットーは嫌い」と惜しげもなくその地位を捨て、世の中に認められない才能を発掘し紹介する仕事に専念する。彼のレコード会社「サラヴァ」は世界で最初のインディー・レーベルと言え、ブリジット・フォンテーヌルイス・フューレイナナ・ヴァスコンセロスアート・アンサンブル・オブ・シカゴジャン・ロジェ・コシモン、近年でもビーアフランソワーズ・クシェイダなど、すばらしいアーティストたちを紹介してきた。1980年代初頭には、日本のアーティストとのコラボレーション・アルバムを発表。その後、日本人の女性と結婚し、現在はフランスと日本での生活が基本。バレーボールのフランス代表選手に選ばれたほどのスポーツマンでもある。「ギターとテニス・ラケットがあれば、世界中どこでも生きていける」という人。
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# by copain-eiji | 2004-06-23 17:30 | ■CD